
先日長野県の上山田に行った時、朝く早く起きて


荒砥城跡を簡単にどんな所か説明すると、荒砥城は今から約400年前の大永4年(1524)頃、この地を治めていた村上氏の一族である「山田氏」によって築かれた城で、郭が連なるように並んでいることから『連郭式山城』と呼ばれています。


この時代は、全国各地で戦が繰り広げられていた戦国時代です。
この地も例外ではなく、荒砥城と千曲川をはさんだ対岸の山頂に築かれた葛尾城の城主村上義清は、上田原の戦い(1548年)や戸石城の戦い(1550年)では武田信玄との戦に勝ち、領地を守ってきました。
しかし、天文22年(1553)4月、武田軍の圧倒的な軍勢の前に、ついに葛尾城は落城し、葛尾城主村上義清は塩田城(上田市)へ逃れ、上杉謙信に援軍を求めます。
この戦いで、荒砥城も城主を失い、山田氏は滅亡します。
同年8月、屋代氏が武田信玄から雨宮の替地として荒砥城を与えられ、屋代氏は屋代城から荒砥城に移ります。
しかし、同年9月の第一次川中島の戦いで、上杉謙信が屋代政国を攻め、荒砥城は落城します。
その後、川中島の戦い(1553年~1564年)を経て、荒砥城は上杉氏の治める城でした
天正12年(1582)、徳川家康との更級郡安堵の密約により、海津城の副将であった屋代秀正は上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に篭りますが、上杉軍に攻められ、荒砥城は落城。
屋代秀正はその後、徳川家康の重臣として行動する。
北信濃一帯が上杉景勝の領地となり、荒砥城は廃城になり、城としての役割を終えました。


二の郭虎口の矢倉門 再現して作られているのだが、
当時の門もこんな感じだったのかな~想像出来ます

ここは2007年NHK大河ドラマ風林火山・2011年の江 女たちの戦国で
≪江姫誕生≫とか≪小谷城落城≫とかのシーンで撮影が行われているみたいだね


矢倉門と搦手口の冠木門に挟まれた二の郭兵舎

櫓展望台からの二の郭兵舎と本郭

二の郭井楼櫓から千曲川と上田市街方面、朝早く

スゴク





四の郭の石垣 細かい石垣もキレイ


全体的にドラマのセットみたいな城跡の中で



ここは三の丸から二の丸への通路下辺りに見られる多分


早起きは三文の得と言いますが・・・得だったカナ~

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